熊本県 玉名市
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構えは初心者、後は自然体

構えは初心者、後は自然体

 

構えは初心者のごとく基本に忠実であれ、修行を積んで後は個性を活かし自分らしくあれという教えです。

生後間もなく狼に育てられたと言われている“アマラとカマラ”のように、人間としての行動や感情を会得する以前に狼が人を育ててしまえば人は狼になってしまうのです。そこで、“初心者”が何かを身に付けようと一念発起した場合には良い指導者について基本を徹底的に磨くことが最も大切なのです。世阿弥の言葉に“守・破・離”というのがあります。師の教えを正しく守り稽古した次の段階として、先入観や技に拘りを持たず自分らしく創造的に生きよということです。

 「構え」と言うことを“心の構え”と“体の構え”に分けて考えると解り易いのではないでしょうか。

子供の頃に“心構え”として時間を守る、約束を守る、嘘をつかないなど素直な心で全てに感謝の気持を持つことを教えていただきました。空手の組手を習い始めたとき”体の構え”は「足を肩幅から一脚長ぐらいの長さに前後に開き、手は前拳を上段に構え後拳を中段に構えなさい」と教えていただきました。つまり、初心者は基本的なものの考え方や、基本的な体の備えを間違って覚えていては将来大きく成長することはできないのです。

一方“自分の命を守る”ということが第一義の“武術”において最も戒めなければならないのは“居着き”です。「構え」つまり“心の構え”や“体の構え”が何物かに囚われていてはいけないということです。正しい基本を繰り返し稽古し体で覚え体得したならば、何ものにも拘ることなく野生の本能で自分の命を守ることができるようにならなければなりません。

五輪の書でお馴染みの宮本武蔵は、佐々木小次郎との巌流島の決闘において約束の時間を守らず卑怯だという説もありますが、時間に拘り過ぎ平常心をなくしてしまった小次郎は結果として自らの命を落としてしまいました。

熊本の島田美術館に所蔵されている宮本武蔵の自画像は2刀をだらりと下に垂らしてつっ立っているだけのようですが、その「体の構え」は、どこにも隙がありません。自然体というのはこのように何者のも囚われない構えのことを指しているのではないでしょうか。

 

崇城大学教授

崇城大学空手道部総監督  山内洋一

礼に始まり礼に終わる

礼に始まり礼に終わる

 

私たちの行動を戒める言葉として古くから“男子、門をいずれば百万の敵あり”と言われています。そのような中で、敵になるかどうかわからない状態での交渉や対話の席で相手につけいれられる隙を見せてはいけません。護身が武道の目的と考えるならば、相手を不快にさせないことや攻撃的な衝動を起こさせないことが大切ですし、もし、攻撃的な兆候を察知したならば逸速く治めるためにも心を込めた「礼」が必要となるのです。

人間修行の場である空手道場に入るとき“未熟な自分を鍛えてください”という謙虚な気持ちを持って初めに「礼」をします。稽古が終わったら“今日もお陰さまで良い汗をかくことができました”と感謝の気持ちを持って「礼」をするのです。

私たちが人間的に成長するために指導してくれている師に対してはいつも感謝の気持ちを持って「礼」をするのです。

戦闘の技術として生まれた“空手のわざ”を人間形成の手段として生かしていくためには、組手稽古の始めには相手をしてくれる人の人格を尊重し、心を込めて「礼」をしなければなりません。相手の人間性を無視したような攻防を行うようでは稽古が成り立ちません。稽古の終わりには、相手をしてくれた人に対し感謝の心を込めて「礼」をしなければなりません。相手をしてくれた人のお蔭で全力を出しきって攻防の技を出すことができ自分の弱点と特徴を知ることができたのです。

形の稽古も「礼に始まり礼に終わり」ます。四方八方に仮想の敵を置き攻防の技術を錬るのです。始めに四方に気を配りながら自分の心を鎮め、力を臍下丹田に集中し「礼」をします。最後は四方に気を配りながら呼吸を整え「礼」をして終了します。「形の礼」は、集中に始まり、残心に終わると言ってもいいでしょう。

“負けて当然、勝って偶然”という言葉があります。たまたま勝てたからといって敗者のまえでガッツポーズなどして屈辱的な態度をとってはいけません。惻隠の情を持ってこころを込めて“ありがとうございました。またよろしくお願いいたします”と心に思い「礼」をするのです。

 

崇城大学教授

崇城大学空手道部総監督  山内洋一

空手に先手なし

空手に先手なし

 

空手の組手の稽古をしている時に、「先手を取るように」とか「自分から先に技を仕掛けていきなさい」と指導者から厳しく指摘を受けたことはありませんか。しかし、先人の教えの中には相反する言葉があります「空手に先手なし」と。

空手道を修行している貴方が、運悪く格闘の場に遭遇したならば貴方はどのような行動をとりますか。好機到来とばかりに日ごろ鍛えた空手の技をいかんなく発揮して人を傷つけたりはしないでしょうね。最も良い方法は「君子危うきに近寄らず」とばかりに間合いを切ること、つまり逃げることです。しかし、どうしても戦わなければならないことがあるかもしれません、その時は武術の鉄則として「先手必勝」つまり“自分が先に動き相手の出鼻を抑え勝ち占めよ”と教えているのです。

「貴方の空手道修行の目的は何でしょうか」と尋ねられたら何と答えますか。“健康のため““美容のため“・・・もし貴方が“何物にも負けない強い心と体を作ること”が目的なら、「空手に先手なし」つまり「先手非道」の平和教育を体得することです。

空手の形は「受けに始まり受けで終わります」四方八方に敵を想定し、隙のない状態でゆっくりと構え、防御技から入るのです。そして最後は残心を持った受けの技で終わるのです。私達が生きていく間にはいろいろな困難(敵)と遭遇します。しかし、挫けることなく背筋を伸ばし臍下丹田に力を集中し自己実現をはかっていく、「空手に先手なし」は稽古の心構えを先師が教えてくれたものです。

崇城大学教授

崇城大学空手道部総監督  山内洋一

知彼知己 百戦不殆

知彼知己 百戦不殆

2000年以上も前の孫子の言葉“彼を知り己を知らば百戦危からず”この意味は「相手と自分の長所短所を見極めて事を処すれば、どのような場合でも失敗することはない」ということです。私たちは生きている限り多くの困難な場面に直面します。目の前に現れた障害物を乗り越えるために、強くありたいと考え、その方法の一つとして空手の道を志した人もおられるのではないでしょうか。空手の試合に一つでも多く勝つためには、試合のビデオなどを良く見て研究し、相手の弱点を知り自分の特徴を知る。そして、相手の弱い所と自分の強い所を当てれば、負けることは無いということです。

孫子はさらに続けます“百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり、戦わずして人の兵を屈するが善の善なるものなり”つまり、相手を打ち負かし勝つことばかりが最良ではない、戦わずして勝利することが最良なのだと教えてくれているのです。

“天下無敵に強くなりたい”と考えて空手の門を叩いた貴方、天下無敵とは全ての人に勝つことではありません。世の中には上には上がいますし、全ての人に打ち勝つことなどとうていできません。天下無敵とは自分の周りに敵がいなくなること、つまり、敵を作らないということです。

空手の組手試合で、アメンボウが水の上をスーイ・スイと軽やかに動き廻っているようなフットワークをする選手を見かけたことがあります。彼は相手を敵とせず伴に波に乗るように動き廻り体を捌き、そして、いつの間にか勝を占めていました、彼のこの動きこそ天下無敵ではなかったのでしょうか。

 

崇城大学教授

崇城大学空手道部総監督  山内洋一